ほぼテレビ出演していなかった
ZARDの坂井泉水さん。
とても美しいルックスに
透き通った歌声で人気を博した歌姫ですが
そんな坂井泉水さんにレースクイーン時代があったことをご存知でしょうか?
とても驚きですが
今回はその理由について
レースクイーン時代のお写真と一緒に
ご紹介します。
坂井泉水のプロフィール
誕生日:1967年2月6日
出身:神奈川県平塚市
死没:2007年5月27日(40歳没)
学歴:松蔭女子短期大学卒業
職業:シンガーソングライター・モデル(初期)
活動期間:1989年 – 2007年
坂井泉水さんは第一不動産で2年間OLとして勤めた後、
スターダストプロモーションへ所属。
モデルをしていました。
【理由3選】坂井泉水はなぜレーシングクイーンに?
1990年、日清カップヌードルレーシングチームの
レースクイーンとして活動を開始した坂井泉水さん。
しかし、本人にとってこの話はタブーだったとも言われており
レースクイーンとして活動していた理由については
本人は一言も明かしていないようです。
そんな坂井泉水さんが
レーシングクイーンになったと言われている理由を
3つご紹介します。
理由1:事務所からの仕事だった
自分で選んだわけではなく事務所が持ってきた仕事をこなしていたわけです。本人は歌手になることを元から夢見ていましたので。(引用:Yahoo!知恵袋)
坂井泉水さんは、最初から歌手志望だったようです。
そのためレースクイーンの仕事は、自らが望んだわけではありませんでした。
しかし当時の事務所のスタッフさんが
とってきたお仕事ということで
感謝して活動をしていたようですよ。
理由2:お給料がよかったから
当時のレースクイーンは、給料がかなり高額だったそうです。
その額なんと
とも言われています。
1980年代後半~1990年代後半のレースクイーンはバブルの時代だったこともあり、1回のレースで40~50万円のギャランティが支払われていたこともありました。(引用:オーディションなび)
それだけでなく、チームとの契約時には
契約金が支払われることもあったようです。
まだ歌手としては活動がままならなかった坂井泉水さん。
OLを辞めて事務所に入ったからには、
安定する仕事を・・・ということで
ご自身の美貌を役立てていたのではないでしょうか。
理由3:あがり症を克服するため?
ZARDを結成した坂井泉水さんは
ほとんどテレビで歌う姿が残っていません。
極度のあがり症のため、テレビ出演を断っていたそうです。
レースクイーンやモデルとしての活動は
あくまで自分は引き立て役のため
喋ったり歌ったりする必要はなく
ニコニコして立っているということがメインの活動ですから
あがり症克服のためにも
無理をして続けていたとも考えられますね。
坂井泉水はレースクイーン時代の気持ちを歌っていた
坂井泉水さんはZARDとしてブレイクした後、
レーシングクイーンをしていた頃の活動について
週刊誌に取り沙汰されたこともありました。
しかし、坂井泉水さんは自身の過去に恥じることはなく
キャリアの一部であると受け入れていたそうです。
「坂井さんはZARD以前の自分の活動については、それも自分のキャリアの一部だとそのまま受け入れていました。ただ、事実ではない中傷記事がスポーツ紙に大きな見出しになったときは、涙がこらえきれなかったようです。私たちに泣き顔を見せたくなかったのでしょう、しばらく化粧室から出てきませんでした」
(引用:AERA dot.)
この時の気持ちを
という曲に込めています。
という歌詞はまさに
坂井泉水さんがレースクイーンとして活動していたことを
後悔しておらず、一生懸命取り組み青春を感じていた、
ということを言い表しているようですね。