「ミステリと言う勿れ」や
「セクシー田中さん」など
人気ドラマの脚本を手掛ける相沢友子さん。
今回は
相沢さんの高校や大学時代から
紆余曲折を経て脚本家になるまで
をご紹介します。
相沢友子の高校・大学はどこ?
相沢友子の高校はどこ?
相沢さんの学歴に関する情報はどこにもありませんでした。
ご本人も出身高校や大学について言及されていないようですね。
しかし高校時代はお兄さんからの影響で、バンドを始めます。
お兄さんのバンドに、キーボードとコーラスとして参加し
16歳の頃、文化祭でバンドを結成。
リードボーカルを務めました。
こうした情報から、出身地である練馬区で
軽音楽部のある高校である可能性が高いのでは?と予想できます。
・東京都立練馬工科高等学校
などには軽音楽部がありますが
相沢さんの高校生時代からすでにあったのかどうかは不明です。
文化放送ですでに仕事を始めていた
相沢さんは高校2年生のときに
オーディションを受け、ROCK ON THE RADIOに合格されています。
そのため、相沢さんは
文化放送でコンサートをしたり、リポーターを務めたりと
高校生にしてすでにお仕事をされていたのですね。
当時から歌詞も書いていた相沢さん。
ソニーミュージックのスタッフから歌ってみることを勧められ、
CBSソニーミュージックのオーディションに見事合格!
歌手デビューへ至りました。
相沢友子の大学は?
高校と同じく、相沢さんは大学についても一切言及されていません。
相沢さんは19歳の頃、
1991年3月「Discolor days」で歌手デビューされます。
歌手デビュー後は女優としてもお仕事をされていましたので
高校卒業後は、大学へ通っていない可能性が高いようです。
歌手兼女優として活躍
この頃、歌手兼女優として
シングルCDを6枚、アルバムを4枚リリースされています。
元ピンクレディーのミーさんとは歌手時代から交流があったようですね。
しかしソニーとホリプロとの契約を解消し、フリーとなられた相沢さん。
その直後、ホリプロ時代のマネージャーから
「小説を書いて、賞を狙ってみたら?」と勧められたことで
脚本家としての才能を開花させていきます。
脚本家までの道のりは?
ここから相沢さんが活躍するまでは
トントン拍子にことが進みました。
太宰治賞に入選!
1999年、相沢友子さんは、太宰治賞最終候補作となった「COVER」が大変高く評価されます。
結果的に、第15回の太宰治賞に入選されました。
さすが高校生から歌詞をかかれていたようですので、
文才はかなりあったのでしょう。
2000年「世にも奇妙な物語」で脚本家デビュー
その翌年、相沢友子さん29歳の年、
「世にも奇妙な物語」で脚本家デビューを飾ります。
2000年の春の特別編「記憶リセット」という作品で
主演が中山秀征さんと戸田菜穂さんでした。
恋人関係を解消することになったカップルは、お互いに気持ちを引きずらないよう、新しく開発された記憶リセットを受けることにした。
思い出を消すことで新しい出発をしようとしていたが、直前になって躊躇した男性だけが、記憶を消すことをやめてしまう。
それから5年、記憶の消えた彼女が男性の前にあらわれ、二人の微妙な関係が始まる・・・
まとめ
今回は
相沢さんの高校や大学時代から
紆余曲折を経て脚本家になるまで
をご紹介しました。
相沢友子さん脚本のドラマ「ミステリと言う勿れ」はコチラ▼
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