1974年、三菱重工ビルや三井物産本社など
なんと9箇所ものビルを爆破させた桐島聡(さとし)容疑者。
9人の死者と400人以上の負傷者が出た他、各企業は大きな損害を受け
1975年5月に主要メンバーが逮捕されましたが
逃亡を続けていた桐島容疑者。
そんな桐島容疑者が2024年1月26日、
ついに逮捕されました。
桐島聡のプロフィール・経歴
出身地:広島県
生年月日:1954年1月9日(70歳)
身長:約160㎝
出身校:広島県立尾道北高校、明治学院大学法学部
特徴:強度の近視、足が細い、広島弁、顔にニキビ跡がある、唇が厚い
桐島聡さんは1970年代の
のメンバーでした。
・明治大学在学中に新左翼活動家・黒川芳正や宇賀神寿一と出会い同派に加盟
・同派が関係する、1974年~1975年にかけて起きた事件の一部に関与
・爆発物取締罰則違反容疑で全国にて重要指名手配犯となる
1975年からなんと約50年間にわたって捜索されていました。
しかし桐島聡さんは同派メンバーの内、
一度も逮捕歴のない唯一のメンバーだったそうです。
末期がんで神奈川県の湘南にある『湘南鎌倉総合病院』に入院しており
その後、死亡したようです。
【7選】指名手配犯・桐島聡が捕まらない理由とは?
なぜ捕まらなかったのか?
その1:海外逃亡していた
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の1つ目は、
海外で逃亡生活を送っていたためでした。
捜査関係者への取材で男が「海外で逃亡生活をしていたが、最期は日本がよかった」という趣旨の話をしていることが新たに分かりました。(引用:TBS NEWS DIG)
もし指名手配になる直後などに国境をこえてしまうと、
それだけで捜査はかなり複雑・困難になりますよね。
その2:容姿を変えていた?
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の2つ目は、
容姿を変えていた可能性です。
桐島聡さんの指名手配時の顔写真をみると、
黒髪で長髪、黒縁メガネと、特徴的でありながらも
笑顔で、どこにでもいそうな好青年な印象でもあるんですよね。
実際に、そっくりさんも多いようです。
しかしこのトレードマークをなくしてしまうと
きっと、まったく誰かわからなくなります。
また、整形などで大幅に顔が変わっている可能性もあります。
その3:逃亡協力者がいた可能性も?
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の3つ目は、
逃亡のための協力者がいた可能性です。
事件後の1975年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、同31日に広島県の実家に電話をかけ、「岡山に女と一緒にいる」などと父親に伝えたのを最後に、足取りが途絶えていた。(引用:読売新聞)
岡山に一緒にいた女性が、桐島聡容疑者の協力者だったのでしょう。
その4:情報収集が困難な時代だった
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の4つ目は、
情報収集が困難な時代だったことです。
事件が起きたのは50年前ともいえば
今のようにインターネットはおろか、電話は黒電話。
目撃者も少なければ、情報提供などもほとんとなかった時代ですよね。
聞き込みや張り込みだけの捜査では
桐島聡容疑者を捕まえるのは非常に困難を極めたと言えましょう。
その5:冷静沈着な男だった可能性
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の5つ目は、
桐島容疑者が非常に冷静沈着な男だった可能性です。
捜査関係者への取材で男が入院する前、神奈川県内の工務店で働いていたことも新たに分かりました。(引用:TBS NEWS DIG)
なんと桐島聡容疑者は、神奈川県内の工務店で働いていたそうです。
自分が桐島聡だと気づかれないように
何食わぬ顔で、社会に紛れて仕事までしていたなんで
相当冷静沈着でないと、普通は挙動が不審になってしまうものではないでしょうか。
その6:偽名を使っていた
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の6つ目は、
偽名を使っていたことです。
どのようにわかったのかというと、桐島容疑者を名乗る男は、末期がんを患い神奈川県内の病院で偽名を使って入院をしていました。
そして、男は突然、本名を名乗る趣旨の発言をし「桐島聡」であることを語ったということです。(引用:FNN プライムオンライン)
桐島容疑者は、ずっと「ウチダヒロシ」と名乗っていたそうですね。
その7:ホームレス生活をしていた?
指名手配犯・桐島聡が捕まらなかった理由の7つ目は、
ホームレス生活をしていた可能性があることです。
桐島聡について一つ情報流していいか? あいつ神奈川にいたホームレスの一人かもわからん
— hrjdf (@hrjdf537300) January 26, 2024
路上生活者になると、社会や人とのつながりが
極端に減ってしまいますし
普通は屋根のある生活をしたいですよね。
捕まらないためだけに指名手配犯が路上に潜んでいるとは
考え難いということから
警察の捜査から免れるにはうってつけかも知れません。
なぜ桐島聡だとわかったのか?
なぜ突然、50年探し続けた桐島聡容疑者が発見されたかというと、
本人による自首でした。
当初は「ウチダヒロシ」を名乗って入院していましたが
2024年1月26日、病院の関係者に
と、名乗ったそうです。
そのときすでに、がんで入院中で、病状は非常に深刻だったということですから
自分の状況を考えて、死を目前にして
自分自身に戻りたいと考えたのか、
警察への勝利宣言からか、
名乗り出た可能性があるということです。
桐島聡容疑者亡くなったね。若気の至りといえど長〜い逃亡生活、苦労しただろうね。自首したら仲間も捕まる。免許も取れず、結婚も出来ず、生活保護も申請出来ず。仕方ないな。
私が物心ついた頃から、交番の「この顔にピンときたら110番」のポスターに顔写真と共に載ってたな。
— ちゃっちゃん (@kyocyanmama) January 29, 2024