青山学院大学の注目選手である、黒田朝日選手。
じつは黒田朝日選手のお父様も、
箱根駅伝に出場経験もある素晴らしい陸上選手でした。
しかし華々しい成績も、
突如、指定難病で現役を引退を余儀なくされてしまいます。
今日は、朝日さんのお父様にクローズアップします!
黒田朝日と父親のWikiプロフ!
まずは、お二人のプロフィールをご紹介します。
お二人の年齢から、
朝日選手は、お父様が22〜23歳の頃にお生まれのようですね。
黒田朝日のプロフィール
生年月日:2003年
年齢:18歳(2024年1月現在)
出身地:岡山県
出身校:玉野光南高校
所属:青山学院大学
兄弟:弟一人(玉野光南高校3年)、妹二人(中学3年、5歳)
・2023年 出雲駅伝(2区・2位)
・2023年 全日本大学駅伝(2区・2位)
・2024年 箱根駅伝(2区・1位)
黒田朝日の父親のプロフィール
生年月日:1981年11月22日
年齢:42歳(2024年1月現在)
出身地:岡山県長船町(現瀬戸内市)
学歴:長船中学校→玉野光南高校→法政大学
職歴:中国電力
黒田朝日の父親は元・天才陸上選手で日本一!
そんな将由さん、実は幼少期はサッカー少年でした。
小・中学校時代
幼少期は、サッカー部に所属されていました。
その後進学する玉野光南高校は、
サッカーの強豪校としても知られていますね。
もちろん高校では当然サッカー部へ!と思っていた将由さんですが・・・
あまりに有名な選手たちが
多く玉野光南高校へ進学してきたため
結果的に、サッカーは中学校までで
辞めることになったようです。
そして、陸上の才能は瞬く間に開花していきました。
玉野光南高校時代
玉野光南高校は、岡山県で唯一体育科のある高校。
サッカーや野球でも全国大会常連校として有名ですよね。
奇しくも陸上部も岡山県下ではナンバーワンの強豪校!
サッカー部への入部をあきらめた将由さんは
走ることが苦ではなかったため、陸上部への入部を決めます。
そのような理由ではじめた陸上では
なんと高校一年生の国体3000mで、
上級生たちをおさえて3位入賞。
高校3年生のインターハイ3000mでは優勝という成績をおさめ、
日本一に輝きました!
それだけではなく、数多くの結果を残し、
法政大学駅伝部への進学を決意します。
・中国高校総体 5,000m 優勝(高校2年)
・中国高校総体 3,000mSC 2位(高校2年)
・インターハイ 3,000mSC 優勝(高校3年)
法政大学時代
法政大学へ進学後も、当然のように1年時から、
箱根駅伝へ出場します。
選抜されるだけではなく、もちろん結果も残します。
箱根駅伝 1区6位 (大学2年時)
箱根駅伝 3区4位 (大学4年時)
元チームメイトからは、
いつもここぞというときの集中力に長けていて
出場する試合ではきっちり結果を残す選手だったようで
・2003年 関東インカレ1部 5,000m 3位
社会人時代:中国電力
法政大学を卒業後は、地元の中国電力へ就職されました。
この時代の中国電力は
油谷繁さん、尾方剛さん、佐藤敦之さんといった
日本男子マラソン界を代表する
トップアスリートが在籍されていました。
将由さんは入社2年後から実業団駅伝へ出場されます。
そして約5年にわたって、
数々のレースで優勝を総なめ。
ベストタイムを更新し続けるなど、
大変活躍されていました。
しかし、”その時”は突然やってきます。
黒田朝日の父親は指定難病で引退の過去!
このように、順調に見えた将由さんでしたが
突然体に異変を感じます。
「足を痛めていて復帰した練習のあと、すごくしんどかったんです。背中に手を当てられたら汗をかいていなくてサラサラで、胸を見たらむくんでいました。これはおかしいと感じました」(引用:4years)
体がとてもキツイのに、汗が全く出ない状況に異変を感じ、
広島大学病院へ駆け込みます。
そこで、
だとの診断を受けます。
この病は
で、難病指定登録をされています。
また、この病気を患っている方は
日本全国でもたった400名。
原因や治療法もわからないような難病なんです。
そんな中でも将由さんは
つらいリハビリや治療を乗り越え、
2009年ニューイヤー駅伝で復帰を果たしました。
しかし残念ながら、
体は元のようにはこたえてくれず
レースで結果を残すまでにはいたりませんでした。
そして翌年の2010年、競技選手を引退することを決断されました。
まとめ
今回は、
青山学院大学の注目選手である、
黒田朝日選手のお父様についてご紹介しました。
お父様のあ将由さんも、
天才的なセンスの持ち主で、華々しい成績を誇り
指定難病で現役を引退を余儀なくされてしまいましたが
現在は四人のお子様を全員、陸上の天才として育てあげていらっしゃいます!
今後も、黒田朝日選手の活躍を応援したいと思います。