近江高校サッカー部の監督、
前田高孝(たかのり)さんの経歴が
非常に興味深いと話題です。
高校卒業後、
↓
海外でプレー
↓
現役引退してアジア放浪
↓
帰国し大学へ入学
↓
ホームレスW杯経験
↓
大学現役コーチ
そして現在は、地元・滋賀県に戻り
高校サッカー部の監督として、
初の全国大会決勝進出!という
異色すぎる前田さんの人生をご紹介します。
前田高孝のプロフィール!
生年月日:1985年6月30日
年齢:38歳(2024年1月現在)
出身地:滋賀県東浅井郡
身長 :178cm
出身校:長浜市立虎姫小学校→近江兄弟社中学校→草津東高等学校
最終学歴:関西学院大学
前田さんは、両親ともに教師という一家に生まれ育ちます。
小学校時代は少年団のサッカークラブでキャプテンを務め、
中学校でもクラブチームでサッカーを続けられました。
前田高孝の経歴
中学・高校時代の活躍
中学2年時
高校1年の時
第80回全国高等学校サッカー選手権大会出場
高校三年時
2003年長崎ゆめ総体へ出場
と、各年代で立派な成績を残しました。
そして、高校卒業後はサッカーも引退し、
大学進学も考えますが
プロへ入団することになります。
2004年〜 清水エスパルス時代
2003年度に出場した国民体育大会(静岡県)で
スカウトの目にとまり、プロテストへ挑戦。
2004年に清水エスパルスへ入団されます。
しかし入団直後の2004年6月に出場した
Jサテライトリーグで、
膝の前十字じん帯を断裂するという大怪我で
全治6か月に及ぶ重傷を負い、
そのまま試合に出場することがないまま、
2005年度シーズンの終了後、
契約満了に伴って清水エスパルスを退団されます。
アルビレックス新潟・シンガポール時代
清水エスパルスを退団した前田さんは
シンガポールプレミアリーグの
アルビレックス新潟・シンガポールと契約をかわします。
アルビレックス新潟・シンガポールでは
11試合に出場
5得点
という結果を残されます。
アルビレックス新潟・シンガポールからは
契約更新の話もありましたが、
Jリーグへの復帰を目指して退団し、
帰国を決意されます。
JFL・MIOびわこ滋賀時代
日本では、JFLのMIOびわこ滋賀へ入団されました。
しかし、そこではサッカーだけで生活を送ることは難しく
ゴミ収集の仕事をしながら、サッカーを続ける毎日でした。
やはりサッカーだけで生活をしていくことを目標に、退団。
その後は
「ヨーロッパのリーグを経験したかったから」という理由から
ドイツへ渡られます。
行動力がハンパないですね!
FSVデレンベルク時代〜現役引退
ドイツでは語学学校でドイツ語を学びながら
レギオナルリーガ等に所属するクラブの入団テストに挑戦し
5部のFSVデレンベルク
と契約をかわしました。
お給料も出て、食事や家もクラブから用意があったので
生活を送ることができたと言う前田さん。
ここでも上位リーグを目指しながら
プレーをしていましたが
再度ひざを負傷したことによって
2008年3月、22歳という若さで
現役からの引退を決意されました。
しかし、前田さんの挑戦はとどまることを知りません。
関西学院大学へ入学!
22歳で現役を引退した前田さん。
「人生やり直そうと思って。30歳になる前に卒業すれば就職できる」(引用:Yahoo!ニュース)
と、関西学院大学へ入学されます。
在学中には東南アジアを旅行し、
タイ国内の孤児院に約1か月間滞在されます。
この滞在中、貧困やボランティアに興味を持ち
帰国後は、大阪市西成区で、児童養護施設で働きはじめます。
そこで、
「ホームレスワールドカップ」
の存在を知ることになります。
ホームレスを集めてサッカーコーチになる
なんとここで前田さんは
大阪の路上生活者に声をかけ、選手を集めました。
そしてホームレスのサッカーチームを作り、
練習の指導などをおこない、
サッカーを通じて
路上生活者の社会復帰への手助けを積極的に行います。
さらにこのホームレスのサッカーチームで
コーチとして「ホームレスW杯」にも参加しておられます。
現役学生での関学サッカー部コーチに就任
また前田さんは、関学に在学中から
複数のサッカースクールで小中学生を指導し
コーチとしての経験を積んでいきました。
そのときに指導していた選手たちが
という成績を残したことで
指導者として評価され
現役関学生として
関西学院大学のサッカー部に
コーチに就任されることとなりました。
2013年度からはヘッドコーチに就任され、
第63回全日本大学サッカー選手権大会で
大会準優勝という実績も残されます。
近江高サッカー部は部員4人からのスタートだった
前田さんはこのように持ち前のアグレッシブさで
様々な実績を残していったことから
2015年4月に
故郷・滋賀県の近江高校サッカー部の監督に
就任することになります。
しかし当時、なんと部員が4人。
まずは部員を集めること、環境の整備からはじめましたが
たったの1年間で部員は70名増加。
その後さらに1、2年生のみのチームで
するなど、
その勢いは止まる所を知りませんでした。
前田さんの就任当初、
県リーグ3部からスタートした近江高校は
2018年度、史上最速でプリンスリーグへ昇格しました。
そして2024年1月8日、
国立競技場での決勝への進出を果たします。
18年ぶり、滋賀県勢の全国制覇なるか?
期待が注がれています!
前田高孝の著書「サバイバルに生きていく」
そんな前田監督の半生がまとめられた書籍が
2021年に出版されています。
説明文より一部抜粋します。
中学1年の春休みに経験した米国への海外留学は、降り立ったばかりのデトロイト空港でいきなり迷子になるというハプニングから始まった。「何か行動しようとしたときに躊躇しなくなった」。ホームステイを通して見聞きした価値観や判断基準は、悪ガキだった少年の人生を大きく変えることになる。
憧れのJリーガーになるも、わずか2年目のシーズン終了後に味わったのは戦力外通告。しかし、「もう一度、Jリーグに戻りたい」という思いが消えることはなかった。シンガポールでプレーした後、いったん帰国するものの、プロ選手として再起を賭けたのはドイツ。ルーマニアで現役引退するも、サッカーにとどまらない「人生の旅」への好奇心が衰えることはなかった。
ここを読むだけでも非常に興味をそそられますが
幼少期から現役選手時代、
その後にアジア放浪で価値観をかえた学生時代、
そして現在や未来にいたるまで
語り尽くした一冊です。
アマゾンでは評価も4.5と高く、
以下のような印象的な口コミがありました。
こんな先生のいる高校に子供を通わせたいなぁってなる良い本でした。
狭い枠組みの中で平凡に生活するのではなく、いつ死ぬかも分からない一度きりの人生「派手にやってこい。」そう自分に言われているようで、深く感銘を受けた。
型にはまらず、夢を疑わず
何歳からでも挑戦し続ける前田監督の姿勢に
読めば背中を押されるに違いないですね。
まとめ
今回は、近江高校サッカー部・前田監督の
異色すぎる経歴をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
型破りな前田監督が奏でる近江高校のプレーを
全力で楽しみたいと思います。
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